錆びたナイフ

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2016年2月10日
[映画]

「ブラックホーク・ダウン」 2001 リドリー・スコット

「ブラックホーク・ダウン」


1993年、東アフリカ・ソマリアの首都モガディシオ.
内戦の続く荒廃した街には群衆と大量の武器が溢れている.
国連の援助食料に群がる住民と、それを略奪する武装集団.
攻撃されない限り手出しのできないアメリカ軍は、それを見守るしかない.
数十万人の住民を虐殺したとされる独裁者アイディード将軍が、この国の混乱の元凶であると考えたアメリカは、その幹部を拉致する計画を立てて実行する.
アメリカ軍と国連軍が支配する地域はごく一部であり、武装ヘリに護衛されながら街に送り込まれた特殊部隊は、思いがけない反撃にあう.
住民と武装集団の区別がつかない.
戦闘用のヘリが撃墜され、地上部隊が街に孤立する.
アメリカ軍は、兵士全員を救出しようとするが・・
この武装集団も群衆も「役者」で、監督が演技指導したというのだろうか.
実話に基づいているというこの作品、恐るべき臨場感に満ちている.

冒頭は、呪術のような歌声の中で、原住民が死者らしき人体を布に包み、それが椅子にしばられた映像からはじまる.
何かの儀式なのか、得体の知れない人間の行為.
アラビア海の海岸沿いを飛行する軍事用ヘリ、それに乗る若い兵士たちは快活で、兵舎の生活もアメリカそのものだ.
まわりが敵だらけという状況の中で、仲間を守りながら闘い、生き延びようとするアメリカ兵たちは、大戦当時と変わらないのだが、戦場のこの不気味さは、全く別物である.
墜落したヘリの周囲に集まってくる群衆.
武器を持っている男も混じっている.
まるでゾンビのようにみえる.
彼らは、半世紀前アメリカが戦ったベトナムの民族解放戦線(ベトコン)とも違う.
この土地でどうやって生活しているのか想像できないのだ.
だから、独裁と圧政に対する民主主義と自由の戦い、といった図式が通用しない.
武装集団が持つ大量の武器は、かつて米ソがこの国に介入し供給したものである.
アフガニスタンやイラクと同じだ.
アメリカが自国と世界平和のためと称して介入した軍事力に、自らしっぺ返しを食らっている.

まるでシューティングゲームのように撃ちまくって街を脱出したアメリカ兵の死者は19名、ソマリア人の死者は1,000人以上という.
この映画は、確かにアメリカ軍兵士たちの信頼と責任と誇りを描いている.
あたかもこの世界で、アメリカ軍だけが、まっとうな人間の価値観を保有しているかのように.
激戦を何度もくぐり抜けたフート(エリック・バナ)は、戦うのは仲間たちのためだと、再び戦場に戻って行く.
他国に侵攻してそこの住民と戦う理由を、彼らは考えないようにしている.
襲ってくる住民はエイリアンと同じ、殲滅すべき生物なのであり、それが1,000人を超える殺戮であっても、それはやり抜くべきことなのだ.
この作品は、その凄まじいリアルさで、兵士たちの行為のもう一歩先、人間への無理解と最新鋭の武力が、相互にどれほどの退化と退廃を生み出すかを描きだしている.

アメリカ兵が去ったあと、ヘリの残骸で遊ぶ子供たち.
社会の混乱と無法を解決できず、絶望と憎悪を再生するだけの戦い.
圧倒的な暴力システムだけが、そこにある.


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