錆びたナイフ

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2016年1月20日
[映画]

「彼岸花」 1958 小津安二郎

「彼岸花」


もう半世紀以上前の映画だ.
主人公の平山(佐分利信)は丸の内にある会社の常務で、冒頭は友人の娘の結婚式.
そこで平山は、自分の結婚なんぞは親が決めた通りのもので無味乾燥しごく殺風景なものだったと述懐する.
結婚式が終ってなじみの料亭で一杯飲んでいるのは、平山とその友人(中村伸郎)と(北龍二).
気のおけない仲間同士の他愛ない会話なのだが、このじわっとした小津流の安定感とユーモアは、何度観ても面白い.

会社で仕事中の平山には来客が多い.
友人の三上(笠智衆)や京都の旅館の女将(浪花千栄子)が訪ねて来る.
三上の娘文子(久我美子)と女将の娘幸子(山本富士子)それに平山の長女節子(有馬稲子)らが皆年頃で、その結婚話がこの映画のテーマだ.
文子は家出して銀座のバーで働きながらバンドマンと暮らしているという.
心配する三上に頼まれて、平山が部下(高橋貞二)と一緒にバーを探して文子に会いに行く.
この常務と平社員のやりとりは、貫禄の違いが出ていて可笑しいのだが、こういう違いは今はもうないだろう.
平山は若い女性たちの恋愛には鷹揚で、好きにすればいいと思っている.
帰宅した平山が服をポンポン脱ぎ捨てると、それを拾い上げて世話をするのが妻の清子(田中絹代).
家に女中がいるくらいだから裕福な家庭なのだが、もの静かで自信にあふれた平山の振る舞いには魅力がある.
同時に、こんな父親像は、半世紀で消滅してしまった.

ある日、平山の会社に谷口(佐田啓二)という男が現れ、節子と結婚させて欲しいと言う.
平山は節子の見合話を進めていたのが、恋人がいることを黙っていた娘に腹を立てて、谷口との結婚に反対する.
しかし平山の妻も次女も皆谷口を気に入って、反対するのは父親だけという状況になる.
暴君という訳ではない、頑固一徹というのでもない、気がつくと少しづつ時代や家族から遅れをとっているというこの男を、小津は丹念に描いているが、小津は人物や人生や社会を描きたかったのではないのだろう.
ごく日本的な話なのに、実は日本的な情緒は皆無で、むしろとても現代的に洗練された「マンガ」を見ているような気がする.
話の底辺にコミカルな人間模様があって、どこか西欧風なのだ.
役者の顔を正面からとらえて、台詞が替わる度にカメラを切り返す、この小津流の会話は、アフタービートのリフレインのように、独特のテンポを生み出す.
じっくり観ればみるほど、まるで音楽のような小気味よさが沸き起こる.
お喋り好きの浪花千栄子が、あがりこんだ平山家の廊下に、ホウキが逆さに立ててあるのを見つけてしっかり元に戻す.
とても可笑しい.
節子と結託して平山を籠絡する、京都弁ちゃきちゃきの幸子もいい.
旧制中学時代のクラス会では、参加者が詩吟を唄うという時代だった.
日本映画の錚々たる面々.
何度観ても見事な映画だと思うのは、こういう人々はもういない、と感じるからだ.
そして私自身がこういう老人になり損ねた.

BSで放送したこの作品は「デジタル修復版」とある.
コンピューターで復元した、見るも鮮やかなカラー.
画面が揺れたりキズが走るような、フィルム映写の欠点が全くない.
上映当初の真新しいフィルムを極上の映写機にかけた以上の完璧画像で、かえって非現実的な雰囲気さえ出ている.
座敷の隅に置いてある赤いヤカンとか、画面のどこかに「赤」があるのだが、「彼岸花」はどこにも出てこない.
この映画、かつてあったはずの、幻をみているようだ.


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