錆びたナイフ

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2015年11月28日
[本]

「人間不平等起源論」 ルソー

「人間不平等起源論」


三百年前のヨーロッパも、社会は不正と不平等に満ちており、この書は、自由と平等を愛し、人間の徳行と義務を信奉するルソーが考え抜いた、社会のあるべき姿である.

「自然状態においては不平等はほとんど存在していなかったこと、人間の精神の発達と人間の能力の開発とから、不平等が力を増し、拡大してきたこと、最後に、所有権と法の確立によって、不平等が安定したもの、合法的なものとなった」
というのがルソーの基本的な考え方で、法や社会がなかった頃の自然状態の人間とは何か、動物と人間とどこが違うか、そこから社会の問題を解き明かそうとしている.

「動物は本能によって選択し、拒否するが、人間は自由な行為によって選択し、拒否する」
「人間と動物に固有の違いは、知性があるかどうかではない。人間が自由な行為者であるという特質こそが、動物と違うところである」
ルソーは「聖書に書いてある」ことから脱却して、ギリシャ/ローマ時代の哲人たちの知識と、大航海時代の冒険者たちの博物学を支えに、世界を把握しようとしている.
しかしその、ひどく大雑把な理論展開で、結局ルソーは、人間の創世神話を再生しているだけのようにみえる.

ルソーは「自然状態の人間」として「野生人」という存在を考え出した.
「野生人にはいかなる種類の知識も欠けているために、自然のたんなる衝動という情念しかない。野生人の欲望は、身体的な要求を超えることがないのである」
「世界において野生人が知っている唯一の幸福は、食物と異性と休息に関わるものである。野生人が恐れる不幸は、苦痛と飢えだけである」
「野生人は怪我と老衰のほかにはほとんど病気にかからない」
森の中で気ままに暮らすこの「野生人」は、美しいものも醜いものも知らず、道徳も義務も知らない故に、善人でも悪人でもなかった.
野生人は知識と想像力を基にした世界を持っていない、姿かたちだけの人間であり、それは、知恵の実を食べる前のアダアムとイブであり、つまり「剥き出しの生」として生きる生物機械なのである.

ルソーは力説する.
動物と違って「自己改善能力」をもっている人間は、野生人から長い歴史を経て変貌した.
家族をもち、言語をもち、社会をもち、私有財産を持ち、恋愛、自尊心、競争、羨望、軽蔑、復讐が生まれる.
堕落のきっかけは私有財産の登場であり、文明が生み出した鉄と小麦の生産が決定的に世界を変えた.
領地と国境と戦争と、こうして怒涛のごとく近代社会が成立した、と.
「社会と、そこから生まれる奢侈(しゃし)から、さまざまな学問と技術が生まれ、商業と文学が生まれる。そして産業を繁栄させるすべて無用なものが生まれ、国家を繁栄させるとともに、滅びさせるのである」
ルソーがその導火線の一本に火をつけたフランス革命は、不正と不平等に対する市民の怒りが国王をギロチンにかけたが、その後も不平等は解消しなかったらしい.

昨今、フランスの経済学者トマ・ピケティが、データ処理を駆使して、世界が富の格差に満ちており、不平等は広がるばかりであると主張して話題になった.
ルソーがそれを聞いたら、今さら何を言っとる!フランスは三百年間惰眠を貪っていたのか、と怒るだろう.
いやルソーは、この体たらくが続けば、人間社会は人口の減少と共にやがて滅びると見ていた.
しかし、世界の人口は増え続けている.
ルソーの杞憂も問題意識も、的はずれだったのか.
そうではない、国家権力の構造がこの300年で、民衆を圧殺することから、管理して生かす方へと変貌したのである.
やがて世界は貧困と不平等を駆逐するだろう.
ルソーが夢見た野生人が、「パンツを履いたサル」あるいは「葬式をする石器人」だとしたら、それは「剥き出しの生」として近未来の社会に生きるニンゲンのことである.


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