錆びたナイフ

back index next

2015年11月16日
[映画]

「紙屋悦子の青春」 2006 黒木和雄

「紙屋悦子の青春」


冒頭、病院の屋上とおぼしきところで、老夫婦がベンチに座っている.
ロングショットでゆっくり移動するカメラ.
長廻し.
実にあきれるほど他愛のない二人の会話が聞こえてくる.
これは、尋常ではない.

この老夫婦はかつての紙屋悦子(原田知世)と永与(ながよ)少尉(永瀬正敏).
戦争末期、二人の出会いの数日間がこの映画のテーマだ.
悦子は、鹿児島の田舎町で兄夫婦と暮らしている.
この兄夫婦の家で物語が進む.
木村威夫の美術セットは、黒木の前作「父と暮らせば」を思い出させる.
悦子は兄の後輩である明石少尉(松岡俊介)に心を寄せているが、明石はお見合い相手として親友の永与少尉を連れてくる.
登場人物はこの五人だけ.
食卓を囲んだ兄夫婦(小林薫と本上まなみ)の会話が、じわっと可笑しい.
心から信頼しあっている人々の心情が伝わってくる.
やがて明石は特攻隊で出撃し、永与がそれを悦子に伝えに来る.
「・・死んだとです
 もう、おらんとです」
「あいつの分も私は、貴方のことば大事にせんといかんとです」
長い間があって、悦子が永与に言う.
「待っちょいますから、私もずっと待っちょいますから、・・・日本がどげんなこんになっても、ここで、待っちょいますから、きっと迎えに来てください」

愛しています、と言う代わりに、貴女を大事にする、と言う.
結婚してください、ではなく、両親に会ってください、と言う.
紆余曲折や事件らしい事件があるわけではない.
この数日の出来事がまさに、「紙屋悦子の青春」だったのである.
見事な映画だと思う.
彼女の人生が波瀾万丈であってもなくても、戦争であっても平和であっても、そこに一人一人の人間の生き様があるとみなすことが、映画の核心なのだ.
これが黒木和雄の遺作となった.

同じ鹿児島を舞台にした「ホタル」(2001年 降旗康男)という映画を観ていたら、特攻隊の兵士が「家族のために戦う」などと言うのでびっくりした.
兵士は、皇国のために戦い、勝利を信じて特攻に参加したのであって、家族のためという発想などなかった.
戦後70年、もう、戦争がわからなくなっているのである.
それは、平和がわからなくなっているのと同じだ .


home