錆びたナイフ

back index next

2015年10月18日
[映画]

「東京流れ者」 1966 鈴木清順

「東京流れ者」


冒頭のシーンはモノクロ、港の引き込み線路を主人公が歩いて来る.
トランペットのテーマソングは歌謡曲 "東京流れ者"
白いスーツに白い靴の"不死鳥の哲"(渡哲也)は、遠目に、当時売れっ子だったタレントの"東京ぼん太"にそっくりだ.
「俺はもうヤクザじゃねんだ、親父さんは組を解散させた。倉田の親父さんの守ろうとすることを守るのが俺の仁義だ」
敵対する大塚組のヤクザたちに殴られても蹴られても無抵抗の哲也.
黒眼鏡の悪役大塚(江角英明)が言う.
「いや、今に暴れ出す、奴は三度転んでダメだと分かると、きっとハリケーンを吹かす男だ、今にヤツはきっと暴れ出す」
人けのない波止場のカット.
道に寝ていた野良犬が、ひょいと起き上がる.
倒れていた哲也、起きあがる.
壊れたオモチャの拳銃が映る.
それだけオレンジ色だ.
「もう一度頼む、これで三度めだ、頼むから俺を怒らせないでくれ」
一転して、渡哲也の歌と、東京タワーをバックに、画面一杯緑色の文字でタイトルが出る.
「どこで生きても流れ者/どうせさすらい独り身の/明日はどこやら風に聴け/可愛いあの娘の胸に聴け/ああ東京流れ者」
この映画、何度観ただろう.

東京の空を背景に、葉が落ちて黒々とした街路樹のカットが何度か現れる.
この真っ直ぐなヤクザ、哲也が見上げる東京の空だ.
この映画は、あるビルの所有をめぐって大塚組が倉田(北竜二)に横槍を入れ、それがこじれて、親分を守ろうとする哲也の奮闘と、その恋人千春(松原智恵子)の話なのだが、
この切なげに眉を寄せたヒロインや、結婚願望の悪役(郷英治)とか、マムシの辰(川地民夫)とか、緑色のジャンパーの兄貴分(二谷英明)とかがはまっていて、全編印象的なシーンに満ちている.
スクラップ工場で、テーマソングが流れる中、車がつぶされていくシーンなんぞ、どういうわけかゾクゾクする.
殺人の惨劇のあちら側で、ガラス越しに踊っている若者たちが見えるとか、現実感が一歩向こうにあるというシーンは清順映画によく登場するが、この監督、「死」以外のナマの現実などまったく興味がない.
だからこっぱずかしくてそんなことやってられますか、ということを臆面もなくやる.
ヘアドライヤーを登場人物が宣伝するという妙なシーンがある.
歌い手の千春が楽屋で「ライトのチャームレディーよ使ってみたら」と言う.
博多で「梅谷の叔父貴、ライトパンチ使うんですか」と、哲也が親分(玉川伊佐男)に言う.
作中CM付きの劇場映画なんぞ他にあるか?
舞台裏が見えたような、ある種の居たたまれなさを感じながら、観客はモジモジする.

しかし凡庸な映画ではない、ストーリーもキャラクターも文句なくしっかりしているし、鏑木創の音楽も上手い.
話の展開の端折り方が見事で、清順は自信満々、映画は所詮約束事だから、作劇をどれほど解体しても観客に話は通じると思っている.
「俺の射程距離は十メートル!」カメラがパンすると十メートル先に赤い目印があったり、ペンキが塗ってあったりする.
主人公が目印まで駆けて銃を撃てば敵は皆倒れる.
荒唐無稽というかマンガのようだというか、雪国庄内でマムシの辰との闘いは、展開を端折り過ぎてヨクワカラナイ.
しかし物語は破綻していないのである.
最後の銃撃戦は、千春が歌うクラブが舞台だが、木村威夫の美術セットはスタジオにオブジェを並べただけ.
「この地獄を突き破らなきゃ、俺には明日はやって来ねえんだ!」
拳銃を放り投げたりして、敵を全部倒してしまう.
「流れ者に女はいらねぇ」
は最後のセリフ.

渡哲也が時折ふわっと微笑むように、画面の中にある種のリリシズムがあって、清順の照れとプロ根性が、この斬新な映画を生んだ.
渡哲也はこのあと「紅の流れ星」1967 舛田利雄、「無頼 人斬り五郎」1968 小沢啓一、と傑作が続く.
鈴木清順の映画は、1980年の「ツィゴイネルワイゼン」以降、どんどん破綻してゆく.
黒澤明が「影武者」以降、絵葉書みたいな作品ばかり作ったのとよく似ている.
作劇の内的な緊張感や手法が、現実の社会の上で、足掛かりを失っていく.
東京タワー下の銀色の仮設ドームで公開した「ツィゴイネルワイゼン」で清順は、「この世はダメだ」と言い残して去った.
いやいや、かの監督はまだ生きている.
亡霊のように、この世とあの世とを行き来している.


home