錆びたナイフ

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2015年9月12日
[本]

「失楽園」 ミルトン

「失楽園」


原題は「PARADISE LOST」、アダムとイブがエデンの園を追われる話だが、それを引き起こした天国と地獄の事件を、ミルトンは17世紀の知識を総動員して壮大な物語に仕立てている.
旧/新約聖書だけではない、ギリシャ/ローマからエジプト/中東/インドに至るまでの歴史と地理と神話、コペルニクスやガリレオの知見までその背景にある.
だから大宇宙の中に天国と地獄があり、太陽と地球と惑星があり、その地球の上にエデンの園があり、それらを果てしない暗黒と荒涼たる深淵が満たしている.
「運命」「恐怖」「夜」「混沌」「偶然」といった概念が、キャラクターとして登場し、例えば「罪」と「死」は地獄の門番である.
この壮大な叙事詩は、あたかもスペースオペラを観るようだ.

この宇宙を創造した神の名は、ヤハウエ/ヤーべ/オウエイ/エホバ、訳本によって呼び名が違う.
「わたしの言葉を聞くのだ、汝らすべての天使よ、・・
ひとたび発した以上絶対に取り消すことがありえない、わたしの命を聞くがよい!
今日、わたしは、今わが独子(ひとりご)と宣言する者を生み、この聖なる山においてその頭に油を注ぎ、王と定めた。
・・わたしは、彼を汝らの首(かしら)と定める。・・
彼に背く者はとりも直さずわたしに背く者であり、一致団結を破壊し去る者なのだ。
したがって、その者は神であるわたしの傍らから、またわたしを仰ぎ見る至福の座から追われ、いや果ての暗黒の奈落に、とこしえに贖われることのない定めの場所に、呑み込まれるはずだ。」
天国には、天使たちの厳然としたヒエラルキーがあり、神はその玉座の右隣に座る者を自らの息子として生み、王と定めたのである.
この独子は、この話のはるかのちに地上に遣わされるイエス・キリストである.
旧約聖書にイエスの記述はない、だからこれはミルトンの創作だが、この神の行為が、その後の騒動の、あるいは人間の運命の、きっかけとなった.
多くの天使たちはこの神の所存を誉めたたえたが、大天使ルーシファは気に入らなかった.
ルーシファは天の軍勢の三分の一を組織して神に反乱し、戦い敗れて地獄に落ち、サタンとなる.

「もはや一切の希望は失われてしまった。
そして、今、見捨てられ追放されたわれわれの代わりに、彼(神)の嘉(よみ)する新しく創造れた人間が、そしてその人間のために創造れた世界が、あそこに見える!
さらば、希望よ! 希望とともに恐怖よ、さらばだ!
さらば悔恨よ! すべての善はわたしには失われてしまった。
悪よ、お前がわたしの善となるのだ!」
この書の主人公はアダムとイブではなく、サタンである.
サタンとその配下の堕天使たちが落ちた地獄は、炎と苦悶とおぞましさに満ちているのだが、実は地面を掘ると金やダイヤモンドが出てきて、彼らはそれで宮殿を建てたりしている.
サタンは反省するどころか益々神への復讐に燃え、堕天使たちはサタンのために結束する.

ミルトンは敬虔な清教徒として神を崇め、悪を排除すべしと力説するが、天使の歌声と神の威力に満ちた天国というところは、まるで銀河皇帝が支配する白い帝国に似ている.
一方、神が六日で作った第三の地エデンの園は、森と泉と清らかな大気に花が咲き乱れ、果物は豊富で生き物たちは飢えることはない.
獅子も豹も像もいるが、みな木の実を食べているらしい.
まるで神が作った盆栽か金魚鉢のようなこの世界で、イブは蛇に化身したサタンにそそのかされ、禁じられた林檎を食べる.
アダムは、自分も罪を負うつもりでその「知恵の実」を食べる.
それから、ふたりはお互いを「淫らな」目で見、「二人は情欲に燃えた。」
それから、人類史上最初の夫婦喧嘩を始めた.
ふたりの目が開き、初めてニンゲンの「心」の違いを知ったのである.
「すべてのものが草木を食べるのをやめて、互いに相食むにいたった。」
楽園の獅子は獲物を襲うようになり、森は、ジャングルになった.
世界のタガがはずれ、生と死が世界を支配すると、まるで人間の取扱説明書のように、サタンとキリストが人間のあとについてきた.

ミルトンは、人類の祖先が楽園を追われた意味を、自らの意思で堕落した人間が、自らの意思で神に救われるための、契機であると考えている.
その救済を先導するのは神でなく、その御子キリストである.
このとてつもなくまわりくどいストーリーは、圧倒的な暴力機構である神(=自然)に対する畏怖と憧憬と嫌悪の中で、ひ弱な人類を包む「膜」のように、意識と無意識を、魂と肉体を、善と悪を、分離した.
しかして人間は、自らの意思で、あるがままの世界を受け入れようとせず、文句ばかり言っている.


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