錆びたナイフ

back index next

2015年8月30日
[映画]

「トゥモロー・ワールド」 2006 アルフォンソ・キュアロン

「トゥモロー・ワールド」


流産と不妊が全人類に広がり、2027年、18歳以下の子供は世界のどこにもいなくなる.
混乱する世界の中で、イギリスは軍事力で国民を押さえつけ、大量の移民を国外に排除している.
人々は絶望し、国内は荒廃し、都市ではテロが頻発する.
主人公は暗い目をした中年男セオ(クライヴ・オーウェン)

赤ん坊がひとりも生まれなくなったら、全世界70億の人口は半世紀ほどでゼロになる.
未来に投資する「資本マネー」は行き先を失う.
引き継ぐべき者がいなければ、文化も文明も無意味だ.
多くの労働力で支えられる産業は次々と消滅してゆくだろう.
自動車もコンピューターもやがて機能しなくなる.
自分と家族が寿命を全うする衣食住だけが必須になる.
セオのような役人も軍人も、仕事を続ける意味はない.
だれもが、今世界にある資材を使い切るしかないからだ.
だから、この映画にあるようなテロが起こるはずはない.
国家は消滅して、人類はつかのま部族社会に戻る.

人類の不妊の原因がウィルスであると暗示されるが、それなら話は別だ.
生物は数億年かけてウィルスと共存してきた.
人間の世界的な移動と密集した都市は、感染症の甚大なパンデミックを引き起こすが、宿主が全滅したらウィルスも全滅してしまう.
だから必ず、ウィルスに感染しても発症しない人間が現われる.
それが、生物進化の原動力である.

全世界で不妊を引き起こすウィルスが猛威を振るうなら、それに立ち向かう医療技術を持っているのは先進国しかない.
イギリスでそのワクチンが開発され、金持ちだけがそれを入手するとしたら、この映画のような惨状はあり得る.
ディストピアもユートピアも、映画に描かれた舞台はどれも空々しかったが、この近未来のイギリスは真に迫っている.
移民たちを収容したゲットーで、言葉も宗教も違う移民の群れと、政府軍とテロリストが入り混じった戦闘シーンのリアルさは、尋常ではない.
実写で撮っているとしか思えない.
それが背筋を凍らせるのは、民族を区別し差別する政策が、全世界で既に始まっていると感じるからだ.
これはSFではなく、現在と地続きなのだ.

セオは、この国でただひとり妊娠した移民の女性(クレア=ホープ・アシティ)を、政治的な略奪から守ろうとする.
逃げ込んだゲットーで赤ん坊が生まれる.
銃撃戦の最中に赤ん坊の泣き声がする.
兵士たちが一斉に銃撃をやめてその母子を見る.
泣き声は希望そのものなのだが、戦闘は再開し、母と子は、TOMORROWという名の船に乗ってこの国を脱出する.
グローバリズムは、全世界に売る商品のおまけとして、人間は平等だと唱えた.
そのおまけから、テロリズムというウィルスが生まれる.
宿主は、全人類であり全文明である.
しかし、人類を死滅させるのは、ウィルスでもテロでもない、「絶望」である.
TOMORROW号は、ひとすじの希望を乗せたノアの箱船なのだ.


home