錆びたナイフ

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2015年3月27日
[映画のセリフ]

「今度も負け戦だったな」

黒澤明「七人の侍」 その2

「七人の侍」


この映画最後のシーン.
平和になった村で、百姓たちが歌いながら田植えをしている.
「今度もまた負け戦だったな」
戦死した侍と百姓の墓の前で、勘兵衛(志村喬)がポツリと言う.
七郎次(加東大介)が「え?」という顔をする.
(我々は野武士に勝ったではないか)
「いや、勝ったのはあの百姓たちだ、わしたちではない」
勘兵衛が言う.
いやちがう.
百姓と武士の損得を比べたら、百姓たちの勝利だ、というのではない.
戦いと功名を求めて諸国をさすらう侍よりも、地を耕し家族を守る彼らの方が真っ当で強いという意味なのだが、
ほんとうは、この男、自分を信頼してついてきた侍四人の命を失ったことを悔いているのだ.
その自分の生き方を「負け戦」と言っているのだ.

勘兵衛が町で侍たちを集めた時、戦場で行方知れずになった七郎次に再会した.
その時、七郎次が当時の戦闘を思い出して、
「もうこれまでだと思いました」と言う.
すると勘兵衛が、
「その時どんな気持ちだった?」と聞く.
七郎次「さあ、別に・・」
(どうしてそんな事を聞くのか)という顔をする.
一瞬のシーンである.
七郎次は戦士である自分に疑いを持っていないが、勘兵衛は、戦(いくさ)はもういい、と思っているのだ.
それは自分のことではなく、部下を死地に向かわせることをもうしたくない、と思っているのだ.
そしてまさにこの戦でも、生き残ったのは、勘兵衛、七郎次、勝四郎(木村功)の三人だけだった.
野武士に勝ったが、我々には何も残っていない.
さて、これからどうしたものか.

この物語のあと、
若い勝四郎は立派な武士になるだろう.
七郎次はどこかで家族を持つだろう.
しかし勘兵衛、この男は誰よりもそれを望みながら、幸せに余生を送ると思えない.
それは優れた映画の力学であり、放っておけずに火中の栗を拾った男たちへの、観客の思いでもある.


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