錆びたナイフ

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2014年12月7日
[本]

「旧事諮問録 上下」 旧事諮問録会編

「旧事諮問録 上下」


副題は「江戸幕府役人の証言」
明治20年代に、歴史学者らの学会がこの記録を作った.
学者達の問いに答えているのは、旧幕府の御小姓頭取、御勘定組頭、評定所留役、大奥の中臈(ちゅうろう)、江戸町奉行、外国奉行、代官手代八洲取締、御庭番、町奉行付与力・・
どれもテレビや映画の時代劇で聞いた名だが、そういう役職にあった当人たちが出てきて仕事ぶりを話す、その速記録である.
言葉使いのせいか、意味がよく分からない話もあるが、まさに当事者へのインタビューであり、江戸「時代」が、ついそこにあったのだと思わせる.

問「もし百姓が年貢を納めなかったときは。」
答「納めなければ闕所(けっしょ)です。地面を取り上げて、売ってしまうのです。だけれども、そういうものは決してありませぬ。」
問「それより前に、牢へでもたたき込むということはないのですか。」
答「それはございませぬ。・・・
問「納めない奴があると、その親類へ説諭するとか、名主を説諭して納めさせるというのがありましたか。」
答「そういう事はございません。親類または組合名主等が立て換えて納めます。だから、五日・七日の日延べを願うものはありました。旧幕府には村ごと五人組という事ありて、五人の中に病人があり、または火災等にて手がまわらぬ時は、他の四人が手伝い、田植・麦蒔等までします位でありましたから、まして不納等はござりませんだ。」
答えているのは、代官手代・八洲取締.

明治維新以来、つい四半世紀前のことすら忘れてしまう世間に危機感を持った学者たちも隻眼だが、瓦解した幕府の要職にあった人間たち誰もが、過去の仕事について腹蔵なく答えているのはたいしたものだと思う.
問われる者達が、その仕事に誇りを持っていたというばかりでなく、日本人のある種の誠実さあるいは「身軽さ」なのだろう.
話のテーマは、将軍の生活、幕府の財政、大奥、司法、外交、地方の警察・民生、学問所から伝馬町牢屋にいたるまで、これは時代劇話の宝庫である.
贈答と賄賂の違いは何かとか、大目付・御目付は登城の際直角に歩いたとか、倹約令は大奥から破綻するとか、黒船到来以来の混乱に必死で立ち回る要人たちの述懐も面白い.
石川五右衛門を油漬けにしたのは法律がなかった豊臣時代の話で、そんな残酷なことはしない、と評定所留役は言う.
ここに登場するのは当時要職にあった人々だが、どこか現代の組織人間にも似ていて、不思議に親近感がわく.

概して、徳川300年の歴史はダテではなく、その社会制度はしごく真っ当だったという気がする.
悪代官と越後屋が企む悪事など、そうそうあり得ない.
平和で不平のない社会かというとそうではないのだが、
すべての人間(人権)が尊重されるべきである事と、彼等が背負っている「身分」の違いは別のことで、士農工商という身分差は、それが必ずしも侮蔑や忌避や抑圧ではなく、「役割」と考えていたようにも見える.
そういう社会を、君主の強権力だけでなく一種の合議制と先例主義で作り上げたこの時代は、権力者がのさばる「封建主義」がすべてだったのではない、と思わせる.

問:「増物と賄賂との区別は如何。」
御勘定組頭:「増物は、つまり定例の物で、いわれなく不意に持って来るというようなものではありません。」


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