錆びたナイフ

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2014年11月16日
[映画]

「男はつらいよ 寅次郎ハイビスカスの花 特別篇」 1997 山田洋次

「寅次郎ハイビスカスの花 特別篇」


甥っ子満男(吉岡秀隆)が寅とリリー(浅丘ルリ子)を思い出す導入部からあとは1980年作「寅次郎ハイビスカスの花」そのもの.
渥美清の遺作になった1995年「男はつらいよ 寅次郎紅の花」の次の作品で、監督の渥美清へのオマージュなのだろう、17年前、元気だった寅次郎、夏の宵の夢.

1969年から26年続いた「男はつらいよ」シリーズ48作は、今少しも色褪せていない.
どれもシナリオの出来がずば抜けている.
これは稀有のことで、作り手たちはひとつひとつの作品に全力を注いだのだろう.
山田洋次は、人が人を愛することを真っ直ぐに描こうとするが、この監督、一筋縄ではいかない.
それが必ずしもハッピーエンドにならないことをよく知っているのだ.
シリーズの中で(寅次郎以外の)男が、ある女性を好きになっても、彼らが最後に結ばれるかどうか分からない.
観客はハラハラしながら観るが、二人が結ばれなかった時、その理由は監督にも説明できないのだ.
リリーと寅が結婚したら・・テキ屋とドサ回りの歌い手が所帯を持ってどうなる?
「寅さんというのは、そういう意味では心がせまくて、こだわりが強すぎて、自分をかわいがり過ぎるから、どんなに好きな女性が現れても、その女性のために自分の生活を崩されるのは耐えられないことなのかもしれません。」
山田洋次は、寅が結婚しない理由をそう言っているが、そもそも恋愛でうわの空になってしまうのが寅である.
この作品は、最初リリーって誰だ?と言っていた寅次郎、旅先で病気になったという彼女の手紙で、飛行機嫌いもなんのその、矢も盾もたまらず沖縄へ飛んでゆく.
全身全霊でリリーを気づかう寅は、島の民家を借りて病み上がりのリリーを看病する.
夕暮れ時、リリーが家の前の路地にたたずんで、寅が帰って来るのを待っている.
こういうシーンを臆面もなく撮れる監督はあまりいない.
切なくなるようなシーンである.
あーあ、こんな女と同衾すればいいのに.
夫婦になるかどうかも、その先一緒に生きていけるかどうかも、遥か、そして一瞬の夢ではないか.

前作「寅次郎紅の花」は、満男と泉(後藤久美子)の話が中心だが、寅は満男に「男のあるべき態度」を講釈して、リリーに、恋愛はカッコ悪くていいんだ、と喝破される.
寅にはリリーの言うことが理解できない.
この時の寅は、口先で女のためと言いながら、ただのエエカッコしい、である.
言う事と本音が違っているのが丸見えだった寅さん、タテマエだけの男になったら魅力がない.
「紅の花」は、寅次郎から渥美清がはがれ落ちて、別人のようにみえる.

マドンナから思いを告げられてしどろもどろになる寅をたくさん観た.
「バカ言ってんじゃねぇ」と本気で笑い飛ばせずに、心で泣いているこの男、一体何を夢見たのか.
寅は、マドンナと結婚したいのではなく、誠心誠意大事にして、彼女を床の間に飾っておきたいのだ.
これほど女心をワカラナイ男はいない.
女が、真っ直ぐ男を見ているのに、男は、見られている自分自身を見てうろたえる.
だから寅にはその先の、あっと気がついたら夫婦になっていた、そういう展開が必要なのだ.
年中喧嘩しながら、それでも夫婦でいる寅とリリーの物語を、心底観たかった.
その幽かな夢が、この沖縄の二人の暮らしだった.

ネットで、こんなポスターを見つけた.

「寅次郎風の盆歌」

(作者:吉川孝昭さんのブログ)

ウソだろっ!ちょっとびっくり.
「最新50作」とある、幻の作品だ.
この夏目雅子を見ているうちに涙がでてきた.
ほんとうにこんな映画があったような気がする.
それがこの「男はつらいよ」シリーズのすごさだ.
私もかつてマドンナの候補を考えた.
それは日活ロマンポルノの宮下順子だったり伊佐山ひろ子だったりした.
私はイジワルだから、清純で優しいばかりのマドンナはつまらない.
マドンナがストリッパーだったら、とらやの人々の動顚ぶりが目に見えるようだが、1作目当時の山田洋次や3作目の森崎東監督なら、あり得た話だと思う.


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