錆びたナイフ

back index next

2014年8月6日
[映画]

「アナと雪の女王」 2013 クリス・バック

「アナと雪の女王」


三歳の幼児が「あじのまま〜」とテーマソングを歌うほど流行っている.
顔の半分が眼か!という姉妹(エルサとアナ)が主人公.
この人形顔のキャラクターが、実に豊かな表情を見せる.
「トイストーリー」で、CGアニメはオモチャっぽい動きの真骨頂を築いたが、一方で人間らしい動きも全て計算=シュミレーションできる、というレベルに達した.
コンピュータの膨大な計算力と、それを支えるスッタフの技術力を背景に、今や描けない映像はない.
映画のエルサとアナは、ポスターの画像よりはるかに生き生きしている.
CGはもはや1秒24枚の静止画像を描いているのではない、数値化されたデータの座標の中で、かつて見たはずのもの、を創っているのだ
夢の中でしか現れないような非現実的なカメラワークも、今や何の不思議もない.
もはやエイガは、夢つまり無意識のビジョンと等価になった.
アニメのデザイナーと監督のセンスは、リアリティを追求するのではなく、生と死のあわいを描くことだ.

原題はFROZEN.
エルサは周囲を凍らせてしまう超能力を持っている.
まず、その力を使って悪人を退治する、というストーリーではないのに驚く.
アメリカの健全なヒポコンデリー集団・ピクサーが作ったなら、この能力を生かして南の島で氷屋を開く、という結末にしただろう.
触れるもの全てを金に変える能力を手に入れたマイダス王は、その娘さえ金に変えてしまい、自分の能力を呪ったが、
エルサの超能力は、彼女が望んで手に入れたものではない.
その力が幼いアナを傷つけたことで、エルサは自分自身も傷つく.
だからそれは、まるである種の病のように、彼女にとっては忌まわしい能力だ.
両親はエルサとアナを引き離し、城の門を閉じる.
ダスティンホフマンが自閉症の兄を演じた「レインマン」を思い出す.
両親が亡くなってやがてエルサは女王になる.
戴冠式で、10年ぶりくらい?に顔を合わせた姉妹が、いい表情をする.
(監督はコンピュータに向かって、どうやって演出したのか?)
(我々が観ているのは、単なるレンダリングプログラムの、パラメータの違いに過ぎないのか?)

やっぱりエルサの超能力がバクハツして、彼女は一人雪山へ閉じこもってしまう.
「ありのまま〜」はこの時の彼女の歌.
この「Let it go」は「やりたいようにやるわ」と、いわば自己解放宣言だが、氷の城で一人モンローウォークしながらカミングアウトしてどうする.
このままでは、偏屈で意地悪でヒト嫌いな雪の魔女になるだろう.

アナはエルサを追って雪山にやって来る.
この元気な妹の発想は単純で、昔一緒に遊んだじゃない?、である.
アナはその記憶を失くしているが、エルサは子供の頃アナを傷つけた事を覚えている.
エルサはアナを追い返し、その時、アナの心に氷のように突き刺さったのはエルサの絶望だ.
「Let it go」と言ったばかりのエルサは、アナをつまり自分を、傷つけることをもう一度くりかえした.
ここから先の話は人知の埒外で、誰もが混沌にはまり込み、意図しないカタストロフィーに向かって突き進む.

話に登場する男たちは、アナと婚約した「悪い」王子ハンスもトナカイ青年クリストフも、なんだか頼りない.
エルサ女王を殺せと叫ぶ貿易公爵など、全く意図不明で、
頼りになる大人は一人もいない.
もはや父と母でも、男と女でもない、姉と妹しかいないのだ.
「ドアを開けて/一緒に遊ぼう/どうして出てこないの」
そう言い続けたアナの捨て身の行為が、アナではなく、エルサの心に長いあいだ刺さっていた氷を溶いた.

エルサの能力が消えた訳ではない、時として自分も凍ったり溶けたりするのを気にしなければ、一緒に暮らしていける.


home