錆びたナイフ

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2014年7月28日
[映画]

「普通の人々」 1980 ロバート・レッドフォード

「普通の人々」


大きな家に、父カルヴィン(ドナルド・サザーランド)と母ベス(メアリー・タイラー・ムーア)と高校生コンラッド(ティモシー・ハットン)が暮らしている.
かつてボートが転覆して同乗していた兄が死に、コンラッドは自分を責めている.
長男を溺愛していた母は、次男によそよそしい.
父はこの次男をいつも気にかけている.

コンラッドは兄の事故の後、自殺未遂をして病院に通っていた.
復帰した高校生活もどこかぎこちない.
母は彼の苦しみを理解しようとしないし、父の心配も彼には辛い.
コンラッドは父に言われて精神科医バーガー(ジャド・ハーシュ)のカウンセリングを受ける.
バーガーはどこかロビン・ウィリアムズを思わせる.
コンラッドは時にアンソニー・パーキンスに似ている.
もしかしてこれは、無意識が引き起こしたサイコ映画か?
実は兄が死んだのは事故ではない・・とか.
ばかな、R.レッドフォードがそんな映画を作るはずはない.
このカウンセリングを核に、何事もなかったように暮らしていた家族に、諍いが起こり、亀裂が入る.

アメリカは「理想の家庭」を維持するために、甚大な努力を払っている.
自由と可能性の国アメリカは、一方で見栄と建前の社会でもある.
家族は愛し合っていなければならないし、息子が精神科に通っているなどもってのほか.
戦後、豊かさの象徴だったアメリカの中産階級が、70年代を越えてここまできた.
一緒に生活しなければ食べていけない、子供はさっさと大人になって家族のために働け、というのが世界の圧倒的多数の家族である.
家族をつなぎ止めるものは何もない、ということが露わになるのは先進国であり、
アメリカは、その事実を怖れるように、家族の絆を守ろうとする.
このひ弱さは、ではヒトが生きる根拠として家族以上の何があるか、という叫びでもある.

コンラッドは、やがて、自分を苦しめていた元凶である母を許すが、夫の不信の言葉をきっかけに、彼女は家を出て行く.
息子と抱き合う父の姿でこの映画は終る.
夫が妻に言った「I don't know who you are」という言葉は、終りではなく、そもそも家族は、そこから始まる.
「普通の人々」(ORDINARY PEOPLE)と作者がいうのは、愛と憐憫の衣をまとい、家族の役割を受け入れる人々のことだ.
ベスに言わせれば、ありのままの私で何が悪いの?
女であり妻であり母である役割(ペルソナ)を放り出せば、残っているのは剥き出しの身体性だけだ.
ヒトは剥き出しの生に、何かを付け加えることでしか存在できない.
家族は、最初からある、のではなく、ヒトが作り出すものだ.
監督のレッドフォードは、アメリカの家族を見つめる深い洞察力をもっている.
コンラッドの家族が抱えた問題は、解決して終ったのではなく、始まったのだ.


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