錆びたナイフ

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2014年5月23日
[映画]

「悪人」 2010 李相日(リ・サンイル)

「悪人」


雨の中、殺人現場跡に一人立たずむ父の前に、娘の幻が現れる.
父を見つめる娘に、
「おまえは、悪うなかぞ」
娘の頭に手を乗せて、父が言う.
ここで、この娘は、救われた.

殺された娘の父(柄本明)は、事件のきっかけを作った男を許せなかった.
殴ってやるつもりだったのか、スパナを持ってその大学生増尾(岡田将生)に会いに行く.
友人たちと事件の顛末を笑い話にしている増尾に、
「おかしか?、娘ば殺された父親の姿が」
「そうやって生きて行かね、
 ずうっと人のことば笑ろうて、生きて行かね」
と言う.
増尾は、人を人と思わぬような自惚れ男だが、犯人ではない.
そして、殺された娘佳乃(よしの)(満島ひかり)もまた、他人の心に無頓着だった.
増尾にあしらわれて佳乃は、居合わせた祐一(妻夫木聡)に無体な言いがかりをつけた.
まるで、私でなくあんたが傷つくべきだと言わんばかりに.
それが犯行の引き金になった.
だから、そんな生き方でいいのかという父の言葉は、その娘にも言えることだ.
そんな娘でもなお、父は娘を愛し娘が幸せになることを願った.

佳乃と同じように携帯の出会い系サイトで祐一と知りあい、「本気で」この殺人犯を好きになった光代(深津絵里)の逃避行は、いわば再生の物語で、だから彼らはそれでいい.
この二人は、死の間際まで行って、蘇(よみがえ)るのだから.
だから、母に捨てられた過去を持つ祐一ではなく、ヒトの死を他人事で切り抜けた大学生増尾が、一番重いテーマを背負っている.
この男も、いつか誰かを愛し愛される事があるのだ、と.
明るくて苦しい若者たちの世界.
「あんた、大切な人はおるねん?」
独白する父の映像に、保護された交番を抜け出して、祐一が潜む灯台へ戻ろうとする光代の映像がかぶる.
大切に思う人がいるか、それが善悪の彼岸を超えて、ヒトがこの世に生きる根拠なのだ.

祐一を育てた祖母(樹木希林)の家に押しかけるマスコミ.
峠の殺人現場に、花束と一緒に、祐一が祖母に贈ったネッカチーフが下がっている.
祖母が供えたのだろう、誰が何と言おうと、祐一はいい子だった.
地方都市で理髪店を営む父、衣料店に勤める孤独な光代、漁村で黙々と暮らす祖母を騙した悪徳商法の社員、祖母を追い回すマスコミを一喝したバスの運転手.
この映画は、誰が悪人かではなく、何がより悪かでもなく、「誰が救われ得るか」を問うている.


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