2014年5月3日
[映画]
原題は「お金(L'ARGENT)」
冒頭のタイトルバックは旧式の現金支払機(ATM)
カードを入れると小さな鉄の扉が開いて、中に紙幣が出てくる.
高校生が小遣い欲しさで偽札を使う.
後で偽札と知った店主は、それを石油販売員イヴォン(クリスチャン・パティ)の支払いに使う.
イヴォンはレストランでその札を使い、逮捕される.
偽札を渡した店のリュシアンは、イヴォンを知らないと偽証する.
仕事を失ったイヴォンは銀行強盗の片棒を担がされ、3年の刑を受ける.
刑務所にいる間に、子供が死に、妻は去る.
自殺しようとするイヴォン.
刑期を終えたイヴォンは、最初に泊まったホテルの主人夫婦を殺して金を奪う.
街で見かけた老女(シルヴィー・ヴァン・デン・エルセン)の家にかくまわれて、
イヴォンは老女にホテルで人を殺したと話す.
理由を問われると、「やってみたかった」と言う.
家には老女の父と妹夫婦がいる.
ある夜、イヴォンは斧で家族全員を殺害する.
老女に最後に言った言葉は「ラルジャン」
音楽の効果音はない.
台詞は極度に少なく、人の足音がコツコツと響く.
一家の殺害は悲鳴さえ聞こえない.
家の中で何事が起こったかと、死体の周囲を歩き回る飼い犬の足音だけが響く.
翌日イヴォンが自首する所で映画はフッと終わる.
こんな映画は見たことがない.
人間には手の届かないような不条理が、強固な階級社会のフランスに顔を出した.
いわれのない罪で投獄され、生きるよすがだった家族を失い、彼の絶望は救いようのない凶行を生んだ?
いや、この寡黙な映画は、もっと先を歩んでいる.
斧による人殺しはドストエフスキーを思わせるが、
救い主のソーニャまで殺してしまうラスコーリニコフがいるだろうか.
トルストイの原作(「にせ利札」)の前半は、貴族や農民ら登場人物が、偽札をきっかけに、次々と悪事と不信に染まってゆく.
後半は、この世を誠実に生きて死んだ老女の言葉が、やがて主人公の魂をゆさぶり、玉突きように人の心を変え、信心と信頼を取り戻す.
ブレッソンは、この小説の前半しか描かなかった.
キリストの教えに救われるためには、もっと絶望せよ、と言わんばかりに、
原作の老女は、自分が殺されようとする瞬間まで、男に憐れみを抱いていたが、映画の(名前もない)老女は、ごく普通の人にみえる.
ブレッソンは、イヴォンが救われるような契機を一切省いてみせたのだ.
この世との縁(よすが)が切れてしまった深い闇と沈黙の底に、人々の靴音だけが聴こえる.
イヴォンは、ほんとうに金が欲しかったのか.
ATMのキーを叩けば金が出てくるような私たちの世界で、この男は、もっと奥底の扉を叩いている.
『すべての明るいものは盲目とおなじに / 世界をみることができない』