2013年12月11日
[舞台]
BSで放送したこまつ座公演を観る.
毎年七月十六日、お盆の樋口一葉一家を描いている.
登場人物は女六人.
借家住まいの一家は、元気で働き者の妹(深谷美歩)と頑迷な母(三田和代)、それを支える一葉(小泉今日子)
一葉は母の小言をあびながら、せっせと働き、せっせと小説を書いている.
一葉の小説は、男も女も出世も困窮も、ままならぬこの世の恨みの連鎖だが、
井上ひさしは、小説から抜き出した二人の女(愛華みれ、熊谷真実)を登場させて、一葉もろともこの明治という時代の女たちを描こうとしている.
一葉の前に、女郎のユーレイ花蛍(若村麻由美)が現れる.
花蛍は、自分が恨む相手を思い出せず、この世を彷徨っている.
思い出してその恨みの元をたどっていくと、一葉を含むたくさんの人々の言い訳がつながっている.
井上ひさしは、その怨嗟の頂点にこの国の「天皇」がいることを仄めかして引っ込める.
(もし「天皇」にそうかと尋ねれば、そうだと答えただろう)
死者(ユーレイ)たちが歌う
わたしたちのこころは
あなのあいたいれもの
いきていたころのきおくが
そのあなからこぼれてゆく
こぼれたきおくはちらばる
ウチュウにこぼれてちらばる
すべてのきおくが
こぼれおちると
わたしたちはいなくなる
一葉は互いを思いやる社会が、紙一重で互いを縛り合う社会になることをよく知っていた.
そこに安住する人も、それを息苦しいと感じる人もいる.
首をすくめて生きるしかない.
井上ひさしは、死を、折り畳まれた生のようにみている.
人間社会の不合理から「解放」された死者たちが、現世にやってきて、生者にメッセージを送る.
(死ぬまで)もう少しだよ.
受け入れられない望みも貧しい生活も、頭痛も肩こりも現世のものだ.
だから、恨みもつらみも生きている証拠だ.
だけど ぼくらは くじけない
泣くのはいやだ 笑っちゃおう
と、歌うのは生者だけだ.
花蛍は、ポロポロこぼれた記憶の果てに、怨みの相手を忘れてしまった.
それは悲劇を通り越して、滑稽で哀れで底なしの青空のようなものだ.
生と死を通して「すべてのきおくが、こぼれおちた」とき、
死者もいなくなる.
すると、ウチュウに頭痛と肩こりだけが残る.
そいつはちょうど骸骨の形で、そこに浮かんでいる.