錆びたナイフ

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2013年11月29日
[映画]

「2001年宇宙の旅」 1968 スタンリー・キューブリック

2001年宇宙の旅


言わずと知れたSF映画の金字塔.
何度観ても面白い.
半世紀前、この映画が世界に与えた衝撃の大きさが分かる.
人知を超えた生命体に憧れたA.C.クラークと、映像フェチのS.キューブリックが、思いきり凝りに凝った映画を作った.
月面基地へ向かうフロイド博士(ウィリアム・シルベスター)が、宇宙ステーションでロシアの科学者と雑談する、そんな何でもないシーンも「何か秘密がある」ようにみえる.
キューブリックの映画はどれも「思わせぶり」満載なのだ.

これは、木星へ向かう宇宙船の乗組員4人が、船を支配するコンピュータ(HAL)に殺され、最後の1人ボーマン(キア・デュリア)もあわや殺されんとする、
というミステリー映画である.
聞こえるのは宇宙服の呼吸音だけ.
宇宙空間に浮かぶ無人の宇宙ポッドが、ゆっくりと振り向き、アームを上げ、主人である人間に向かって動き出す.
怖ろしいシーンである.
ポッドにはじき飛ばされ点のように回転する宇宙服が、遥か彼方の宇宙空間に見える.
この距離感のすごさ.
宇宙を舞台にした映画はあまた作られたが、宇宙の底なしの空虚を表わすこのようなシーンは、今だ他にない.
続く冬眠カプセル3人の殺人も、悲鳴すら聞こえない.
画面に現れる「殺人鬼」HALは、船内各所にある赤いカメラのレンズと、自信と憂いに満ちたその声だけである.
そのHALは、生き残ったボーマンにメモリーを引き抜かれ、断末魔の恐怖から赤ん坊に戻ったように、デイジー、デイジーと歌う.
この「殺されるコンピュータ」も前代未聞である.

この宇宙船が何故木星に行くのか、知っているのはHALだけだった.
HALにとって乗組員は、自分に巣くっているウィルスのように見えた.
もし、HALが自分の船内から人間を全員「駆除」することに成功していれば、木星に到達するのはHALである.
フロイド博士はそれを想定していたか?
ボーマンだけが木星に来るとは、だれも予想していなかった.

大きめのドアほどの黒い石板、モノリスは、
数百万年前の猿人に道具を使う暗示を与えた、ように暗示されている.
2001年の現代の月面に同じものが発見され、それは木星に電波を発信した、という.
話はそれだけである.
これもミステリーである.
月面に埋められたこの石板は「誰か」が作ったに違いない.
それを知りたいと、フロイド博士たち(と原作者のクラーク)は考えた.
しかしたどり着いた木星に「知的生命体」などいなかった.
そこにもモノリスが浮かんでいただけである.
キューブリックの思わせぶりは、ここで種が尽きた.
ここから先はクラークの歯ぎしりのようなものである.
光の洪水の後に現れるのは、古風な部屋と孤独な食事、ベッドに横たわるボーマン.
この寒々しいイメージは、ボーマン(あるいはクラーク)の知力が、洞窟で怯えていた猿人とたいして変わらないことの証左である.
猿人が食べる生肉からペースト状の宇宙食まで、この映画には多くの食事シーンが出てくるが、どれもひどく不味そうで慌ただしい.
ドラマの意図としてそうしたのではなく、キューブリックが単に、楽しい食事の映像がキライだったのだろう.
部屋の中央に、モノリスが「どこでもドア」のようにつっ立っている.
ここへ来るべきだったのは、人類ではなく、HALなのだ.
食事の喜びを知らぬ者の「スターチャイルド」とは、もはや生物ではない.
赤ん坊はボーマンではなく、HALの生まれ代わりなのだ.
「それ」は、機械の夢をみて、デイジー、デイジー、と歌っている.


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