錆びたナイフ

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2013年11月7日
[映画]

「あなたになら言える秘密のこと」 2005 イザベル・コヘット

あなたになら言える秘密のこと


工場で働くハンナ(サラ・ポーリー)の昼食はひどく粗末で、
食事を美味しいと感じることを忌否しているようにみえる.
誰とも話をしない、一人で生きている.
休暇中に当座の看護婦として雇われたのは海上の石油掘削基地.
火災で操業停止しているここには、貝を集める海洋学者や料理にこだわるコックら、7人の男たちしかいない.
火傷を負って寝たきりのジョゼフ(ティム・ロビンス)を治療するハンナ.
閉ざされて行き場のない世界で、不器用に生きている人たち.
ハンナは彼らにほんの少し心を開く.

ジョゼフは視力が回復していないが口は達者で、寡黙なハンナに次々と話しかける.
サラ・ポーリーという女優は、一見冷めたような顔をしているが、どこか少女のような戸惑いと憂いを持っている.
やがてハンナはジョゼフに、クロアチアの戦場であったことを話す.
民族間の争いで、同じ民族に惨殺された友人と女たちと、ハンナをレイプした若い兵士たち.
ジョゼフがハンナの胸の傷跡に手を触れた時、
ハンナの経験には決して手が届かないだろう、
そしてその誰にも届かない惨劇を一人で抱え込んでいることが、
彼女の苦しみなのだと、知る.

ジョゼフが本土の病院に移る時に、ハンナは彼の元を去った.
回復したジョゼフがハンナを探す.
その途上で、映画は、多くの忘れ去られた虐殺の歴史を訴えるが、
ハンナが「秘密」を話した後は、どんな意味でもごく普通の恋愛ストーリーになる.
それでいい.

悲惨な体験は語り継ぐことなどできない.
忘れたくない、のではない.
忘れられない病理として、心と体に刻まれるか、さもなければ、人はさっさと忘れる.
「悲惨な歴史」など風化するがいい.
当事者以外の誰にこの苦しみが分かるか.
より大きな悲惨とは何のことだ.
そもそも「悲惨」であることは、当人にはあずかり知らぬ「ありよう」なのだ.
ハンナの体験に匹敵するのは、ジョゼフが持っていた辛い過去ではなく、
彼女に向けられた彼の止むことのない言葉とユーモアだ.

英語の原題は「THE SECRET LIFE OF WORDS」
なぜ「WORDS 言葉」なのだろう.
ハンナはまさに、言葉にできない、誰にも訴えられないことを苦しみ、「あなたになら言える秘密のこと」と、言葉で言えるところまでたどり着いたのだ.
最初はジョゼフに名前を明かさず、コーラと呼ばれていたハンナは、惨殺されたその友人の名は、と問われて、ハンナと答えた.
映画の冒頭から聞こえていた心の声は、その友の声であり、彼女自身のうめきでもあった.
ジョゼフと結ばれ幸せになった最後のシーンで、その声は静かに途切れる.


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