錆びたナイフ

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2013年9月15日
[舞台]

「阿漕(あこぎ)」 宝生能楽堂

「阿漕」


水底で眠っていると、彼方から呼ばわる声がする.
「おーい阿漕、起きよ、舞を舞え」
また旅の僧侶か・・
「お前が成仏できるよう、念仏を唱えよう」
やくたいもない、成仏できぬというのはお主ら生者のことを言うのだ.
死者に記憶はない.
記憶を生むためには、僅かでも歩まねばならぬ.
それが、舞うということだ.

能役者の足運びの遅さは尋常ではない.
橋掛りから舞台へ進む遥かな時間.
鼓と笛が覚醒を促すように鋭い響きを打つが、
まるで夢の中のように、おそろしいほどゆっくりと動く.
演者は高度な緊張でそれを持続している.
舞はゆっくり目覚め、限りなく死に近づいて、ドンと床を踏む.

能楽堂は谷にある.
芸能は谷に集まる(あまたの地下の怨霊とともに)
後シテとして現れる青白い亡霊たちの、おぞましさと近しさと哀しさよ.
かれらは、まだ半死半生の夢を見ている.
限りなく歩みが遅れ、記憶が無限に引き延ばされれば、ヒトは限りなく無生物に近づく.
そこから、泡のように立ちあがる亡霊は、実は生者の側の夢である.
つまり、死に切れないのは、亡霊を呼びだした旅の僧侶であり、観客である我々なのだ.
禁漁を破って死罪になったうえ、今だ殺生の罰に苦しむ阿漕は、
その歩みを止めない限り、生物である限り、罪業の夢は消えてはならぬ、と我らが熱望する.
能舞台は現世ではなく、まして天国ですらない.
死者の記憶を繰り返しこの世に呼び出し、
彼らとともに生きながら死ぬことを夢みた、生者である我々の世界がここにある.


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