錆びたナイフ

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2013年6月20日
[映画]

「めがね」 2007 荻上直子

130620


"ただ、ホワンと、そこにいる"

何処とも知れぬ南の島の民宿を舞台に、
そこへやって来たお客の小林聡美と、民宿の主人(光石研)と、春になるとやって来るもたいまさこと、
観光もなければ、事件もない.
きれいで静かな海を前に、ふいと昼寝して生まれたような映画.

画面に並んだ人物たちと、ゆっくり動くカメラ、長くてじわっとしたカット.
極力言葉を排除したように、挨拶や説明の台詞はなく、連発する「えっ?」という問いに答はなく、
この監督の妙な沈黙と間は、観客の妄想をかきたてる.
民宿の台所は庭にあって、美しい食器に盛られるシンプルな料理が、とてもおいしそうだ.
丁寧に料理を作るように、丁寧に映画を作ると、こんな作品になる.
海辺に、もたいまさこの「かき氷屋」が建っていて、その料金は野菜だったり音楽だったり、子供の折紙だったりする.
こんなだったら、毎日子供がワンサカ来るだろうとか、この人はどこか他でお金を稼いでからこの島へ来るのだろうか、とか妄想してしまう.
もたいまさこのニコヤカな笑顔と沈黙は、ある種の仮面に似ていて、「かもめ食堂」や「トイレット」より、この作品のほうがハマっている.

小林聡美を先生と呼ぶ若い男(加瀬亮)がやって来るが、
そこに居るから、それでいんじゃない、とばかり、何の「説明」もない.
それに、なぜかいつも民宿に来て、少しトゲトゲしている若い女(市川実日子)は、ホントに教師なのか・・
生計や目的が人間のリアリティの基準というなら、ここに現実はなく、食べて寝る生活は、自由とは無縁の、「神話」にみえる.
お客に農作業を強制する薬師丸ひろ子の奇妙なホテルも、
毎朝海辺でクネクネするメルシー体操踊りも、
似たようなものだと思うのだが、
結局、小林聡美も踊っている.
ひとはやってくるが、住むところではない島.
焼けつくような夏の手前で、
このひとたちは、忘れられた夢のように、ただ、ホワンと、そこにいる.


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