錆びたナイフ

back index next

2013年3月6日
[映画]

「潜水服は蝶の夢を見る」 2007 ジュリアン・シュナーベル

「潜水服は蝶の夢を見る」


主人公から見た病室の映像で始まる.
医師が、主人公ジャンにロックト・イン・シンドローム(閉じ込め症候群)だと告げる.
意識はあるのに身体が動かない、聴こえるが喋れない、動くのは左眼だけ.
「ジョニーは戦場へ行った」を思い出す.
しかしシュナーベルのこの映画、悲惨や呪訴はない.
イマジネーションが豊かで、映画としてはるかに見応えがある.
言語療法士が頻度順のアルファベットを言い、ジャンが瞬(まばた)きで答え、単語をひとつづつ組み立てる.
その瞬きが唯一のコミュニケーションであり、人間らしさの証なのだが、それは周囲から見た話で、本人は旧来通りの喜怒哀楽を、映画はモノローグで伝える.
コミュニケーションが開通して、カメラは主人公をとらえる視点に変わる、さらに家族の思い出や、発症時の記憶や、今の願望まで広がってゆく.

瞬きのコミュニケーションは、今ならコンピュータを使うだろう.
アルファベットを繰り返すうちに(フランス語が分かれば)、観客は主人公が何を言おうとしているのか想像できるようになる.
これは映画として面白い.
彼を取り巻く言語療法士や代筆の女性たちに魅力があり、主人公は相変わらず女好きで、映画を見ている我々は時に主人公の障害を忘れる.
この期に及んで、妻の前で、ぬけぬけと、愛人に毎日逢いたいと告げる.
セラヴィ、どう転んでも人生.
フランス以外でこんな映画が作れただろうか.

潜水服を着て海中に漂っているイメージが何度も出る.
作中で、アラブで人質になり軟禁されたという友人の話や、高齢で足腰が弱くなり部屋から出られないという父の話が出てくる.
人間は閉じ込められること、意思が通じないこと、外界を失うことに恐怖を感じる.
しかし胎児は、子宮の中でなす術がないが、閉じ込められているとは思わない.
母親と一体だから.
周囲の人々を無条件に信頼することでしか生きられない.
そもそもそれができたら、医療も愛も宗教も越える.
潜水服を着ている、のではない、海と同じ、なのだ.
海へ崩れ落ちる氷山の映像が、エンドロールでは逆回しになり、海から氷山が盛りあがる、くりかえし.
あたかも海からイマジネーションがわき上がるように、
ここから命がはじまる、とでも言うように.


home