錆びたナイフ

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2013年1月19日
[映画]

「マトリックス レボリューションズ」 2003 ウォシャウスキー兄弟

「マトリックス レボリューションズ」


この世はマトリックスという架空世界で、肉体は別のリアルワールドにあるという.
しかしそのリアルな世界は、死に絶えた都市と、宇宙船の内部とか地下の工場とか、一木一草もない殺風景な場所で、
この3作目で現れる地上世界は、暗く黒々とした構造物が延々とつらなり、機械虫が這い回る不気味な世界である.
まるで悪夢のような世界が「リアル」で、まっとうな街は「架空」だという.
首の後ろにケーブルを差す(ネットに繋がる、サイバーパンク流に言うとジャックインする)ことと、目覚める(覚醒する)ということは何なのか?
マトリックスのほうが「意識=覚醒」の世界で、暗黒のリアルワールドは「無意識=夢」の世界にさえ見える.
つまり夢と現実がこの映画の中では二重に反転している.

マトリックスに登場する人物はソフトウェアなのだから、現実の肉体を越えて何でもできる.
ウィルス(主人公のネオ)とアンチウィルス(エージェント)の戦いを擬人化しただけではない.
大友克洋の「童夢」や「AKIRA」を思わせるパワーとイメージの奔流のなかで、
架空世界への出入が電話だったり(まさかモデムで通信している?)、地下鉄がマトリックスの構造上の接点(=OSのミドルウェア?)であったり、クッキーを焼くおばさんが禅問答のような台詞を呟く.
あらゆるシーンに暗喩と謎が満ちているように見える.
よく考えられたシナリオというのでなく、S.キューブリックや宮崎駿もそうだが、この作者の無意識が豊穣なのだと思う.

この3作目でストーリーが境界を越える.
エージェント(ソフトウェア)が現実の人間としてリアルワールド側に現れ、ネオは現実世界の中で超能力を発揮する.
これは、話としては約束違反の越境である.
私が蝶の夢をみているのか、蝶が私の夢をみているのか・・
私はエンディングクレジットの最後に再び、
1作目のネオ冒頭のシーン、
Wake up, Neo... Knock, knock,
が出てくるのではないかと、目を凝らした.
この映画は醒めることのないネオの夢なのだ、と.

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