錆びたナイフ

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2012年11月23日
[本]

「精神のエネルギー」H.ベルクソン

「精神のエネルギー」


「心」は何処にあると問われたら、
昔から、世界中だれでも、それは胸の辺りにある、と答えると思うのだが、
最近、それは「頭」にあるという人がいる.
それはあの、頭脳センサー(fMRIやPET)の所為である.

センサーで脳内の活性化した部位が見えても、それは精神活動そのものではない.
ベルクソンは、
「脳の状態が心の状態を表現するのは、心であらかじめ形成された行動についてだけである」
と明言している.
つまり、脳の働きは精神的な働きの「原因」ではなく「結果」なのだ.

ベルクソンは、人間の思考を注意深く読み解いて、
目からウロコが落ちるような推論を組み立てている.
精神 意識 記憶といった事柄に関する理論は明解で鮮やかだ.
「記憶の形成は知覚の形成のあとではなく、それと同時である。
 知覚がつくられるにつれて、その記憶がそれと並んで物体の影のように描かれる。
 しかし意識はふつうそれに気がつかない」
記憶は、脳内のニューロンがまるで半導体メモリーのように働くものではない、
と言っている.
だから、デジタルカメラは、ヒトの眼のアナロジーではない.

人間も所詮物質でできているにも関わらず、ヒトは「木石に非ず」という.
その違いは何か
「感覚は意識と物質の合流点にあって、私たちに固有な、私たちの意識を特徴づける持続の中に、ものの膨大な期間を凝縮する」
夢をみている時と覚醒している時の違いを、人間の合目的性でとらえて、
その意欲を、ベルクソンは「精神のエネルギー」と見ている.
この「覚醒した意欲」が、人間の証であり、存在理由だと言っている.
木や石は、ずっと夢を見続けているのだ.

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