錆びたナイフ

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2024年7月29日
[映画]

「張込み」 1958 野村芳太郎


「張込み」


テレビのチャンネルを回していると、明らかに質の違う映像に出会ってはっとする.
この映画は、今はなき銀座の並木座で観たことがあるのだが、最近BSで放送していた番組をついつい最後まで観てしまった.
見事な映画だ.
黒澤明の「野良犬 」(1949)を思わせる、圧倒的なリアリズム.
昭和30年代の東京と佐賀の風景は、単に懐かしいのではない、もっと根源的なものを含んでいると思う.

モノクロ.
二人の男が東京駅から列車で、まる一昼夜かけて九州まで行く.
車内は満員、これが何の旅か説明はない.
佐賀の警察署まで来て、二人が警視庁の刑事であることがわかる.
ベテランの下岡(宮口精二)と若い柚木(ゆずき)(大木実).
市内の宿屋に四、五日滞在すると告げて、タイトル「張込み」が出る.

東京で拳銃を使った強盗殺人事件があり、刑事たちはその容疑者である石井を追っている.
かつて石井の恋人だったさだ子(高峰秀子)は、銀行員の後妻となって佐賀の市内に住んでいる.
石井がここに現れるのを確信して、下岡と柚木が張込みをする.
映画はその過程を丹念に描いている.
刑事のいる旅館の二階から、通りを隔てて、さだ子の家が見える.
夏なので、開け放たれた窓から生活が丸見えだ.
さだ子は毎日、夫から百円受け取ってそれで生活をしている.
吝嗇家の夫とその連れ子が三人、淡々と判で押したような暮らし.
さだ子が外出すれば刑事も後を追う、24時間の監視.
映画は同時に、東京での事件捜査の展開と柚木の生活にカットバックして、事件とこの物語の全貌がわかる.

砂埃の道路、電線のない広い空.
下岡は「暑い暑い」を連発し、柚木はしきりに顔の汗をぬぐう.
この時代の夏に涼をとるのは、団扇(うちわ)か扇子である.
扇風機は一部の部屋にしかないし、電話があるのは駅とか警察署だけ、至急の連絡は電報である.
発動機のセールスに来ていると偽って旅館の部屋に居座る刑事を、宿の女中が怪しんで警察に届けるという珍事.
こういう時の下岡の対応が見事.
旅館の広間に客が集まってニコニコしているのは、テレビではないラジオの歌番組を聴くためである.
路地には天秤棒を担いだ金魚売りや傘の修理屋が行き来する.
頭に桶を乗せた飴屋が通るのにはびっくりした.
土砂降りの雨の中、さだ子がさしているのは番傘、下駄の緒が切れて、片足でぴょんぴょんと軒下に移動し、緒をすげる.
これらのシーンは、私にとって単になつかしいだけなのか.

現れない犯人をあきらめかけた日、さだ子が動く.
下岡は本署に出かけており、柚木は一人で女を追う.
町はおりからの祭りで、人混みの中、さだ子の日傘を見失う.
どうする、落ちつけ.
柚木は推理と機転で、さだ子の乗ったバスをつきとめ、タクシーであとを追い、山間の温泉で、石井との逢引きを目撃する.
ここで初めて石井(田村高広)の顔が出る.
さだ子は石井に、一緒について行くという.
三年前にそうしなかったことを悔いているという.
柚木は瞠目する.
あの平凡な女に、こんな強い意思があったのか.
山の温泉宿で、石井は逮捕される.
泣き崩れるさだ子に、柚木が言う.
今から家に帰れば、何事もなかったことにできる、と.

この映画は、刑事の張り込みを通して、ひとりの女の生活を描いているのだが、柚木はその女に同情を感じている.
どうみても幸せとは思えない.
一方柚木が、下岡の妻がすすめる見合い話に色よい返事をしないのは、恋人弓子(高千穂ひづる)との結婚をためらっているからだ.
弓子の家族は貧しくて、結婚してもしなくてもそれが二人の重荷になっている.
この映画の最後に、柚木は弓子と結婚するという電報を打つ.
ためらわず、愛する人と生きろ、という話なのだが、女性が生きる道は結婚しかない、という時代だったのを感じる.
現代は、男でも女でも、まず自立して生きていける社会を作り出した、ということになる.

つい最近、堀割りのあるこの佐賀の町で、昔映画の撮影があった事が今でも語り草になっている、というテレビ番組を観た.
撮影中はたいそうな見物人が出たそうだ.
当時映画俳優は、文字通りスターだった.
刑事たちの部屋に、小さなホタルが飛んでいるから、この旅館はスタジオセットではあるまい.
しかし実際の旅館なら、このカメラワークは神技である.
最近のふにゃけた邦画をみるにつけて、つくづく思う.
間違いなく一級品の映画だ.
原作:松本清張、脚本:橋本忍、撮影:井上晴二、音楽:黛敏郎

現代なら、九州まで飛行機で行くだろうし、連絡はファックスも携帯電話もある.
圧倒的に便利になった.
66年前、日本人だれもがこんな「不便な」世界に生きていた.
しかしまちがいなく、「人間の身体」がそこにあるという世界だ.
あらわな人間そのものが、そこに暮らし、生きている.
そのことが、この映画をみる人の心を打つのだと思う.
不便な方がよかったというのではない.
現代の犯罪捜査のカギは、DNA鑑定と携帯電話の通話記録なのだ.
今や人間のアリバイは、ネットの中にある.
いったい、ニンゲンは今、何処にいるのか.



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