錆びたナイフ

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2021年12月30日
[本]

「破壊する創造者」 フランク・ライアン


「破壊する創造者」


副題は『ウイルスがヒトを進化させた』
ウイルスは病原菌の一種で、この世から撲滅するべきだと思っている読者には、驚天動地の話.

ウイルスが寄生生物と共に進化するという考えが、この話の中心である.
著者は、多くの学者とのインタビューを交えて、その証拠を積み上げてゆく.
1990年代から始まる話なのだが、著者が展開する「進化の科学史」は、実にスリリングで面白い.
当時、ウイルスが宿主と共進化するという説に賛同する学者は、ほとんどいなかったという.
これは単にウイルスの話ではない、著者は、ダーウィン後に生まれた新たな進化論を提示している.

ポリオウイルスの化学式というのが本書に出てくる.
曰く『C332, 652H492, 388N98, 245O131, 196P7,501S2,340』
ウイルスというのは、単独では間違いなく「単なる化学物質」なのである.
しかしそれは、宿主に寄生した時「生物」すなわち「命」を持つ.
これはまさに「実存」そのものだと私は思う.

人間がもつ遺伝情報=ヒトゲノムの内、タンパク質を合成する遺伝子は全体の1.5%に過ぎないという.
あとの情報は、何のためかよくわからなかったのだが、この書の20年、それらの働きが次第に明らかになってきた.
著者は、ヒトゲノムの中のHERV(ヒト内在性レトロウィルス)という部分に注目する.
それは、かつて人間に感染したウイルスの名残で、レトロウイルスとは、自分のRNAの遺伝情報をDNAに作り替え、宿主の細胞に入り込むウイルスである.
宿主と合体したレトロウイルスは、もはや「感染」する必要はなく、宿主とともに「繁殖」することになる.
『自然に存在するウイルスのほとんどは、新しい宿主と良好な関係を結ぶと言い切ってしまっても、さほど間違いとは言えないだろう。
 良好な関係、というのは、宿主を大きな病気にしない、ということだ。』
感染していても病気にならないというだけではない、例えば哺乳類の胎盤形成の役割をになうのも、このウイルスである.
さらに、同じような環境で暮らす近隣種にウイルスが感染した場合、抗体をもたない近隣種は大きなダメージを受ける.
つまり、ウイルスを持つ宿主は、生存競争に勝てるのである.
見方を広げると、利益も不利益も含めて「共生」というありさまは、生物同士の基本的な関係だと言える.
思うに人間だけが、不利益を懸命に排除しようとする.

著者は「共生」の例として、オーストラリアのコアラに広まるレトロウイルス感染症と、エイズをあげる.
現在コアラに広まっている白血病やリンパ腫の病気の原因は、コアラ自身の遺伝子の中にあり、親から子へ遺伝する.
このウイルスは、齧歯類(げっしるい)から種を飛び越えてコアラに感染し、しかもコアラの遺伝子のどの部分に組み込まれているかは、まだ変化の途上にあるという.
この病気で死なないコアラがいるので、コアラが絶滅することはない.
自然淘汰とは、まさに「差異」が「生死」を超えて種の「区別」となる圧力、なのである.
つまり、淘汰されるものを除いて、コアラとこのウイルスとは、共生しているということになる.
『AIDSウイルスは非常にシンプルなウイルスである。・・では、一体なぜこんなにシンプルなウイルスがこれほど恐ろしい敵になるのだろうか
 その問いに対する私の答えは簡単だ。「AIDSウイルスは、まだ人類という宿主に適応するように進化していないから」である。』
これが著者の発想の基本である.
エイズウイルスが人間を撲滅しようとしているのではない、自然が、結果的に、ウイルスで死ぬ人を淘汰するのである.
『私の考えが正しければ、AIDSの発生というのは、おそらく進化の中で起きた普通の現象の一つにすぎない。』

著者は、ダーウィン説の総括として生まれた「総合説」の三つの要素「自然選択説」「突然変異説」「メンデル遺伝学」について、
科学理論と言えるのは「自然選択説」だけで、他は単に「事実」を記述しただけだ、という.
150年前のダーウィンは、遺伝子もゲノムも知らなかった.
彼は、両親から受け継がれた特徴が混じり合うことで徐々に変化が生じ、「自然選択」が、子孫の変化を後押しすると考えていた.
現代では、生物の代々に渡る変化は、遺伝子ゲノムの変化であると考えられている.
進化は「突然変異」「共生発生」「異種交配」「エピジェネティクス」という、4つの力で推進されていると著者はいう.
「共生発生」というのは、この書で追求している「共生」することで新たな種が誕生するという考えである.
「異種交配」とは、そもそも交配できないから異種なのであって、これがあり得るというのは、びっくり仰天.
「エピジェネティクス」とは、後天的な作用により遺伝子の発現が制御される、ということである.
これは、まったく同じDNAの情報を使っているにも関わらず、我々の身体を構成する細胞がどれも異なっているのはなぜか、という問いの答えである.
つまり、DNAの配列が変化しなくても、生物は、環境に直接呼応するようにして、変化=進化することがある.
私は学校で「獲得形質は遺伝しない」と習ったが、「獲得形質は遺伝しうる」のである.
復活するラマルクの亡霊.
まさに、そんなことあり得ないという人間の知識が、何度もひっくり返されてゆく.
今や、アメーバからはじまった「進化の木」は、ぼやけて「網目状」になっている.
科学史のパラダイムシフトは、実に興味深い.

『私たち全員が同じHERV(ヒト内在性レトロウィルス)を受け継いでいるということは、私たちの直接の祖先はすべて同じだけのウイルスに感染していたことになる。』
それは『私たち現代人の祖先は、進化の歴史上、何度も繰り返し起きた致死的な感染症の大流行をすべてくぐり抜けて生き延びてきたということになる。』
自然破壊が進んで、野生動物が人間と接触するようになり、そのウイルスが人間社会に広まるようになった、という説がある.
そうではないだろう.
人類はその誕生から数百万年、狩猟採集生活をすることで、野生動物と接触してきた.
感染症のパンデミックは、農耕社会以降、人間が大規模な集団で暮らすようになったことで、発生するようになったのである.
集団感染そのものが、ウイルスの進化を劇的に早めるのだから、今やパンデミックは、ウイルスにとっても人間社会にとっても必然ということになる.
同時に、この書の知見によれば、どれだけ犠牲者が出ても、人間と感染症の綱引きは必ず収束する.
ワクチンも集中治療室もなかった100年前のスペイン風邪は、3年で収束した.
今や3年目の、新型コロナウイルス感染者数は、都市のロックダウンやワクチン摂取とまったく関係なく、あたかもウイルスの都合で、拡大と収縮をくりかえしているようにみえる.
人為的なチカラで、ウイルスは制御できないのである.
台風が発生する原理はわかっていても、台風の襲来を防ぐことはできないのと同じである.
自然の摂理はこう言っている、さっさと感染してウイルスも人間も進化しなさい、と.

著者は、自らが医者である経験を踏まえて、生物の進化だけでなく、病気の治療という観点からウイルスを見ている.
病理に関する記述がともすれば詳細過ぎて、その部分はとても読みづらい.
ウイルスに関する知見が、病気の治療に役立つというのは、人間の都合である.
この本を読んでつくづく感心するのは、生命の仕組みの深淵さであり、
病気の原因を排除すればそれでよい、というようなお気楽な話ではない、それをひしひしと感じる.

19世紀は「結核とコレラの世紀」、20世紀は「インフルエンザの世紀」、21世紀は「コロナの世紀」と呼ばれるのだとしたら、
それは、人間が病気に対抗する「医療技術」を手に入れたことと、符合している.
自然の摂理がどうであろうが、個々の人間にとって、自分が「淘汰」されるのはまっぴらなのだ.
結果的に「医療」は、人間の「進化」にブレーキをかけることになる.
今や人間は、科学技術の力で、自然選択そのものを拒否するメカニズムを考え出したのだ.
この本は間違いなく優れており読むに値するが、結局、その人間自身がこれからどう進化しうるのかについては、何も言及していない.



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