錆びたナイフ

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2021年11月27日
[本]

「死者の書」 近藤ようこ


「死者の書」


折口信夫の原作も印象深いが、このマンガもすごい.
冒頭、山中を歩く女の背後で「した、した、した」という音は、暗黒の墓の中で目覚めた男が聴く、しずくの落ちる音である.
「こう、こう、こう」というのは、「魂乞(たまご)い」をする男たちの声.
「あっし、あっし」というのは、魔除けのために足踏みをする女たちの声.
言葉が意味である、そのはるか以前、「声」が霊力をもっていた時代の話である.

奈良平城京に住む、先の右大臣・藤原豊成の郎女(いらつめ).
この姫は、藤原氏で一番美しいといわれ、一族の氏神に仕えるべく育てられている.
姫の周囲にいるのは乳母(ちおも)、老女(とじ)、若女房たち.
神代から連綿とつづく語り伝えだけが、姫の知識のすべてだった.
『この身は‥ 才というものを習いたい‥』
才(ざえ)とは、学問のこと.
老女の語る古物語に満足できなくなった姫は、父から受け継いだ経典に出合い、写経を始める.
そして春分の日、姫は、二上山に沈む夕日の中に、仏の姿をみる.
この娘は、仏教に、生きる意味を見つけたのである.
秋分の日にも、仏は、その尊い姿をあらわし、その俤(おもかげ)が姫の想いのすべてになった.
一心に称讃(しょうさん)浄土教を写経して、翌年の春分の日、千部が完成した日は、雨.
姫は失踪し、屋敷では「神隠し」と大騒ぎになる.
姫は、仏の姿をみるべく、ひとり西へ歩き、二上山を目指して、万法蔵院の女人結界を超えてしまう.

『姫の咎(とが)は、姫が贖(あがな)う』
寺の掟を破った姫は、都へ帰ることなく、物忌みのため、二上山麓の庵(いおり)で暮らすことになる.
思いつめて魂を失ったような姫.
『貴族の娘である郎女は、一日ものを言わなくとも、寂しいとも思わなかった』
半年後の秋分の日、姫は、二上山の夕日にあの仏の姿を見る.
『あなとうと阿弥陀ほとけ』
やがて若女房たちが、姫に言われるまま、蓮の茎から蓮糸を紡ぎ、姫は、織機で蓮糸を織ることをはじめる.
「はたはた、ゆらゆら」
西空の仏に、法衣を着せたいというのが彼女の願いである.
『世の中に、なしとげられぬものの、あるということを、あて人は知らぬのであった』
できあがった巨大な織物を袈裟として、姫は、そこに仏の絵を描いた.
それは、『数千地涌(すうせんじゆ)の菩薩の姿が浮き出た』曼陀羅であった.
事の起こりは上記の通りだが、物語は、姫が屋敷から失踪したところからはじまり、話はかなり前後している.
ストーリー構成は見事で、実に面白い.

姫が目指した二上山には、死者を埋(い)けた塚がある.
『かの人の眠りは、しずかに覚めていった』
五十年前、磐余(いわれ)の池で処刑された男が、この墓の中でよみがえる.
男が真っ先に思い出したのは、自らの死の間際に見た女、耳面刀自(みみものとじ).
耳面刀自は、姫の祖父の叔母にあたる.
男の、女への執心が、姫をこの地に呼び寄せたとも言える.
おっかさま、寒い、身体中が痛む‥‥しかしいったい自分は誰なのか.
男の記憶がよみがえる.
天武天皇の第三皇子、大津皇子(おおつのみこ)、滋賀津彦(しがつひこ)、謀反を疑われ処刑された男.
『うつそみの人なる我や明日よりは
 二上山を愛兄弟(いろせ)と思はむ』
伊勢の斎宮である、男の姉、大伯(おおく)皇女の詠んだ歌である.
この男の異様な存在が、この物語の底をマグマのように流れる.
原作者は、この物語を、山越阿弥陀図から着想を得たというが、金髪に白い肌、柔和で何も語らぬ阿弥陀仏より、この墓の中でめざめた男のほうが、はるかに印象が強い.
肉体が滅びてその霊がさまよう、というのではない、朽ち果てた骸(むくろ)が、生き返るのである.
古事記・黄泉の国でのイザナキを思わせる.
まるでゾンビだ.

二上山の庵(いおり)で暮らす姫に、滋賀津彦の想いが、悪霊のようにまとわりつく.
毎夜あらわれる「つた、つた」という足音.
姫は、怖れるのでも拒否するのでもない、大きな瞳をひらいて、ただ奇怪な現象を見つめる.
『その氷の山に対(むか)っているような、骨の疼く戦慄の快感ーー』
よみがえった滋賀津彦は、神の名を口にしない.
この男の執念は人間の中にしかなかったが、姫は、そのはるかかなたに仏の姿をみていたのだろう.
やがて、足音は聞こえなくなる.
阿弥陀仏が「西方浄土」で、滋賀津彦が「黄泉の国」をあらわす、というわけではない.
清浄な常処女(とこおとめ)にせまる「死の穢(けが)れ」、というのでもない.
千年前の、郎女と、阿弥陀仏と、死者との、摩訶不思議な三角関係である.

一方、この物語には、都に住む大伴家持(おおとものやかもち)と藤原仲麻呂が登場する.
仲麻呂は、姫の叔父にあたる.
大伴家持は、万葉集でおなじみ.
このふたりの会話は、当時の都人の下世話な話題に満ちていて、実におもしろい.
藤原氏、大伴氏、一族の栄枯盛衰は時の流れ.
たとえば、仲麻呂の兄、藤原豊成は、政争に敗れ、太宰府に左遷となったが、就任したふりをして難波にいるという.
ただただ古い家柄を継いで守っているという家持の思いは.
『験(しるし)なき物を念(おも)はずは
 一杯(ひとつき)の濁れる酒を飲むべくもあるらし』
現代サラリーマンの哀歌のようにもきこえる.
仲麻呂が、神さびた姪、姫のことをこう言う.
『これは、もう人間の手へは戻らぬかも知れんぞ』
一族の権勢の一環として、伊勢神宮の斎宮になることを望まれながら、
その姫は、あろうことか、人間の罪も汚れももろともに、仏の世界へ行ってしまった.

滋賀津彦は、姫が自分の子を産むことを願った
無実の罪で処刑されたことが無念だというのではない、妻も子も殺され、自分が忘れ去られることに耐えられないというのだ.
つまり、「遺伝子」の話なのである.
この男の結末は、この書の中にはない.
よもや仏に癒されて永遠の眠りについた、わけではなかろう.

古典というのは不思議だ.
たかだか1300年前の人間が、なにをどう考えていたのか、実はよくわからない.
何をおそれ、何をうやまうか、といった基本的なことが、現代人とは根本的にちがうのではないか.
このマンガは、その世界をかいま見せてくれる.
姫のもとにいる若女房たちは、元は農家の娘で、今で言うきゃぴきゃぴギャルだが、字の読み書きを知らない.
それぞれの貴族には、語り部と称する老婆がいるのだが、今やだれも、彼女らの古物語りを聴こうとしない.
仏教をはじめとする大陸の新しい文化が、世界を変えてゆく.
そんな時代.
『何が笑うべきものであるかを知らない』という貴族の娘が、『ものを考えることを知り初(そ)めた』のである.
この作者のぽやんとした描画が、この、浮世離れした少女の雰囲気をよく伝えている.
人を疑ったことがないという娘が、真っ直ぐに人間社会を突破する.
ひとりの女の成長物語というだけではない.
この、小説とも神話ともつかぬ不思議な作品は、不気味で崇高な、日本古代の「魂の物語」である.
それは、「たましひ」などとうに失った現代人に、強烈な一撃を与える.
現代、死者を浄土へ導いてくれるはずの阿弥陀ほとけは、ICU集中治療室の入口で、追い返されてしまう.
かくて、DNAに突き動かされた滋賀津彦、つまり「生物」の執念だけが、死ぬことも生まれることもなく、連綿とつづく.



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