錆びたナイフ

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2012年8月29日
[本]

「汚穢(けがれ)と禁忌(きんき)」 メアリ.ダグラス

「汚穢と禁忌」


1966年当時の人類学の本だが、とても面白い.

汚穢(おわい)は糞尿のこと.
(けがれ)とよんだら、それは身体を離れ、伝染し、怖れられ、あるいは清められたりする.
時と場合によって、汚(けが)れたものは聖なるものに変化する.

(私はアンパンマンよりバイキンマンのほうが好きだ)

汚れと清めは、衛生や道徳や宗教や社会体制の衣をまとって、驚くほど広範に人間の行為を支配している.
膨大なフィールドワークと文献を元に著者がこの本の前半でしたことは、未開社会が知能や精神で遅れた社会ではない、と論証することだった.
何もアフリカまで出かけて行かなくても、
「未開」ではない「先進国」の我々の生活が、決して開明でも合理的でもないのは、よく見れば分かると思うのだが・・
そして著者は、汚穢と禁忌は社会を維持するために生まれる構造だとみなしている.
アダムとイブふたりに、タブーはない?

「汚れはユーモアを逆にした形式に似ている、(つまり)可笑しくない機知だ、」
と述べているところが、この本の至高だ.

食卓に靴を置いてみよう.
誰も笑わない.
ウンチ!と叫ぶのが大好きな子供だけが、キャハハと笑う.
「こんなところに靴を置いたのは誰だ!」
「それは2種類の人間しかいないよ、ワトソン君、
 置くことができるのは誰か、ということだ.
 子供か、現代アートの作家だ」
だから、子供と作家(狂人と言い換えてもいい)が犯人なのだ.
著者にとって、コンゴのレレ族ならまだしも、子供や狂人を調査することは、禁忌(タブー)だったに違いない.

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